呉の将軍で兵法家。生没年未詳。孫子とは、孫武(そんぶ)の尊称である。
孫武の伝記はほとんど残されていない。『史記』孫子呉起列伝によれば、孫武は春秋時代末期の斉(せい:山東省)の人で、呉王闔慮(こうりょ:前514~前496在位)に仕えた。呉の将軍となった後は、西の強国楚を破り、北では斉や晋の国に勢威を示して、諸侯に勇名を馳せたとされる。
『史記』には、孫武が呉王に用いられた際の逸話も残されている。孫武の記した兵法13編を読んだ呉王は、彼の兵法家としての実力を試そうと思い、兵の代わりに宮中の美女を孫武に訓練させた。孫武は、命令に従わなかった隊長格の寵姫(ちょうき)二人を切り捨てることによって、美女たちを思う通りに動かし、これを見た呉王は孫武を呉の将軍として迎え入れたという。
中国、春秋時代末期の最古の兵法書。孫武(そんぶ)著。
『史記』孫子呉起列伝には、孫武と孫臏(そんぴん)の二人の名が孫子として記されており、また孫武に対する記述も簡略だったため、『孫子』は孫武の著ではないと考える人も多く、後人偽作説や孫臏自著説等も主張された。しかしながら、1972 年、山東省銀雀山(ぎんじゃくざん)の前漢時代の墓から出土した竹簡のなかに、現行の 13 編の『孫子』と、後日『孫臏兵法』と名づけられた二つの兵法書が含まれていたことから、『孫子』は孫武の兵学を伝えるものと考えるのが通説となった。
『孫子』は、計・作戦・謀攻・形・勢・虚実・軍争・九変・行軍・地形・九地・用間・火攻の 13 篇で構成される。第一の計編で、孫武は、戦争開始以前の軍備の重要姓を述べ、戦争は国家の存亡の分かれ道であると説く。『孫子』は決して好戦的な書ではない。孫武は、作戦編で軍費と国家経済との関係を論じた上で戦争は莫大な浪費であると結論し、謀攻編では戦わずして勝つ方法を主張する。「百戦百勝は、善の善なる者には非らざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。」(謀攻編)とあるように、戦争すなわち戦闘というわけではないのである。『孫子』においては、国家の利益に結びつかない戦争は否定される。
続く形・勢・虚実の各編は、戦術原論とでもいうべきもので、この3編のなかで、孫武は、勝利に結びつく態勢や勢い、敵軍の行動を操って主導権を握るための方法を論じている。後半の軍争・九変・行軍・地形・九地・用間・火攻の各編は、これを受けてより実戦的な各論へと展開したものである。
いずれにせよ、『孫子』は現実主義の立場に立っており、無意味な戦争を戒め、戦争において主導をとることを強調する。『孫子』が、武経七書(『孫子』『呉子』『尉繚子』『六韜』『三略』『司馬法』『李衛公問対』)の中で最も重要視され、広い範囲にわたって影響を及ぼしたのは、戦争のみならず、人間に対する深い洞察があったからであろう。
孫子は、今からおよそ2千数百年前、激動の中国・春秋戦国時代に生きた兵法家で、戦争で勝利するために、いかに環境に適応するか、そのためのヒト、モノ、カネの動かし方を詳細に分析した。
現代に至るまで、未だ、彼のものを凌ぐ戦略書は記されていない。その究極の思想が「無形に至る」である。戦略論としての評価は非常に高く、中国人はこれを「孫子以前に兵書無く、孫子以降に兵書無し」とまで評する。 クラウセヴィッツの『戦争論』と並び、東西の二大戦争書とも呼ばれる。
古来「孫子」に親しんだ名将には「三国志」の英雄として知られる曹操がいる。また、武田信玄が「孫子」軍争篇から「風林火山」の四文字を借りて旗印としたことは有名。ヨーロッパではナポレオンやドイツ皇帝ヴィルヘルム二世等が孫子の兵法を実戦したといわれている。
孫子は戦争を極めて深刻なものであると捉えていた。それは「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。良く考えねばならない)と言うように、戦争という一事象の中だけで考察するのではなく、あくまで国家運営と戦争との関係を俯瞰する姿勢から導き出されたものである。それは「国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ」、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」といったことばからも伺える。
また「兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹とざるなり」(多少まずいやり方で短期決戦に出る事はあっても、長期戦に持ち込んで成功した例は知らない)ということばも、戦争長期化によって国家に与える経済的負担を憂慮するものである。この費用対効果的な発想も国家と戦争の関係から発せられたものなのである。
すなわち『孫子』が単なる兵法解説書の地位を脱し、今日まで普遍的な価値を有し続けているのは、目先の戦闘に勝利することに終始せず、こうした国家との関係から戦争を論ずる書の性格によるといえる。
『孫子』戦略論の特色は、「廟算」の重視にある。「廟算」とは開戦の前に廟堂(祖先祭祀の御廟)で行われる軍議のことで、「算」とは敵味方の実情分析と比較を指す。では「廟算」とは敵味方の何を比較するのか。それは道(為政者と民とが一致団結するような政治や教化のあり方)・天(天候などの自然)・地(地形)・将(戦争指導者の力量)・法(軍の制度・軍規)の「五事」である。より具体的には以下の「七計」によって判断する。
以上のような要素を戦前に比較し、十分な勝算が見込めるときに兵を起こすべきとする。